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宇都宮地方裁判所栃木支部 昭和27年(ワ)35号 判決

原告 田中勝美

被告 田中かめ子 外六名(いずれも仮名)

主文

一、被告田中芳吉を除く被告らは、原告に対し、被告田中かめ子は金三三、三三三円および金一〇萬円に対する昭和二七年八月六日より右支払ずみまで年五分の率による金員の三分の一、被告田中実、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子は、各自、金一一、一一一円および金一〇萬円に対する昭和二七年八月六日より右支払ずみまで年五分の率による金員の九分の一の各割合による金員を支払え。

二、被告田中かめ子、同田中実、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子は、原告に対し、別紙〈省略〉目録(一)記載の物件を引渡せ。

三、原告その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用中、原告と被告田中芳吉との間に生じた部分は原告の負担とし、原告と被告田中かめ子、同田中実、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子との間に生じた部分は、これを十分し、その九を原告の負担とし、その余を同被告らの平等負担とする。

五、この判決は、第一、二項につき、担保を供することなく、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「一、被告田中かめ子は金一三四二、八九五円の三分の一を、被告田中実、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子は各右金額の九分の一を、原告に対し、支払え。二、被告田中かめ子、同田中房吉は、原告に対し、連帯して金一〇、一六九、七三〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和二七年八月六日より右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。被告田中実、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子は、各右金額(元金および損害金)の九分の一につき、被告田中かめ子、同田中芳吉と連帯して、原告に支払え。三、被告田中かめ子、同田中栄、同村田栄、同田中操、同青山千、同小沢房子は、原告に対し、別紙目録(一)ないし(三)記載の物件を引渡せ。四、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、つぎのとおり述べた。

一、原告と被告らとの関係は次のとおりである。

原告勝美は、亡田中武とその先妻亡つるの実子(二女)で、被告かめ子は、右武の後妻で、原告の継母、被告芳吉は原告の妹である被告操の夫である。そして、被告かめ子、同実(長男)、同村田栄(長女)、原告(二女)、被告操(三女)、同青山千(四女)、同小沢房子(五女)は、右武が昭和三一年一二月三〇日死亡したので、その遺産を共同相続した。

二、原告は、病弱で収入の途なく、亡父武は約二億円余りの資産を有し、原告を扶養すべき義務を持つていたが、昭和二三年八月、原告は右武と別居して上京することとなり、両名の間に、右別居については、右武が、別居後、原告に対して、原告の身分相当の生活費、療養費を扶養料として支払う旨の扶養契約が成立した。そして右扶養料の額は、前記別居の際の諸条件、右武が二億円以上の資産を有すること、原告は資産家の娘として相当な社会的生活をしてきたこと、などからみて、すくなくとも一カ月余二萬円以上を相当とするものである。

従つて右武は、原告に対して、昭和二六年五月一〇日より同月末日までの二二日分として金一四、一九〇円、同年六月分より昭和三一年一一月末日までの六六月分として金一、三二〇、〇〇〇円、同年一二月一日より同月二九日までの二九日分として一八、七〇五円の合計金一、三四二、八九五円を支払うべき執務があるものといわなくてはならない。しかるに、右武が昭和三一年一二月三〇日死亡したので、前述のように、被告芳吉を除く他の被告らおよび原告が共同相続した。よつて、被告かめ子は、前記金一、三四二、八九五円の三分の一(四四七、六三一円)、同実、栄、操、千、房子はその九分の一(一四九、二一〇円)ずつ(原告を加えて六人の子が三分の二を等分すると九分の一となる)を、原告に対して、支払うべき義務がある。

三、亡武、後妻である被告かめ子、三女操の夫である被告芳吉の三名は、自分達の利益のため、先妻の子である原告を、右武家から排除する目的をもつて、相互に通謀して、次のような一連の共同不法行為をした。

(一)  原告に対する不法監禁事件。

(1)  亡武は、昭和二六年一月一六日、原告が精神病者でないことを知りながら、群馬県勢多郡桂菅村大字江木一二四一番地厩橋病院(精神科病院)に赴き、同病院へ原告の入院措置を、同病院副院長山田中に依頼し、同月一九日未明、同病院から右武方に派遣された看護婦二名が、医師の診断がなされていないにもかかわらず、原告に麻薬注射を打つて、原告を昏睡状態に陥れ、右武は、右看護婦二名と共に自動車に原告を同乗させて、右病院へ運び、同病院長の診断もなく、原告を同病院に強制収容したのである。

(2)  しかし、前示手段によつて原告を同病院に連行しかつ強制収容した右強制入院措置は、次に述べるような違法性を有する。

(イ) 右強制入院措置は、原告が、精神衛生法第三条にいう「精神障害者」でないにもかかわらず、精神病者であるとして、原告の意思に反し、精神病院に原告を強制的に収容したものであつて違法である。仮に原告において、通常人の性格と「量的な差」として異常性格と疑われる点があつたとしても、法律的にはすくなくとも医療または保護のため強制入院させる必要のある精神病者とすることはできない。従つて、本件強制入院措置は違法たるを免れない。

(ロ) 更に、精神病者の強制入院措置を定める精神衛生法の各条項に照らして考えると、同法第三三条にいう「保護義務者の同意」によつて強制入院させ得る場合は、一般的に精神病者は、是非弁別の能力、とくにここでは同意能力を失つているので、保護義務者の同意をもつてかえたものと解すべきである。しかるに本件では、右武は、なんら特別の代理人を設ける措置をとることなく、東京家庭裁判所昭和二四年(家)イ第一五八五号調停申立、準禁治産宣告申立、推定相続人廃除申立をなし、原告を正常な能力者として取扱つている。このような場合は、同法第三三条の要件をみたし得ないのである。

また、同法第二九条は知事の入院措置の規定であるが、同条にいう「医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ、又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたとき」に強制入院措置を採り得るものと一般的にも解釈すべきものであるが、本件はもちろんこの場合にあたらない。従つて、いずれにしても本件のような場合において、前記強制入院措置をとることは許されないものというべきである。

(ハ) 更に本件は、精神衛生法が要求する一定の手続をふまない強制入院である。亡武は、東京家庭裁判所に原告を相手方として、昭和二四年(家)イ第一五八五号をもつて「家事調整」の調停申立をし、また原告から同庁に昭和二五年(家)イ第四三一号をもつて「財産分与」の調停を申立てられている関係は、同法第二〇条第一項第二号にあたるものというべく、右武は保護義務者たる資格がなく、前記同法第三三条の同意する権利をもたないものである。この場合は、同法第二九条の知事の入院措置による二人以上の精神鑑定医の診断の一致その他の手続を経て入院させるほかないのに、このすべての手続をふまない違法入院措置である。仮に前記第三三条によるも、診断の結果入院させなければならないにもかかわらず、その診断をせず、強制入院させる手段を採つたのである。また、看護婦に医師の診察がなされていないのに、原告に麻薬注射を施用し、亡武は右看護婦と共に原告を前記厩橋病院に運び込む暴挙を敢えてしたのである。

(二)  なお、同法の前記規定は、医師に要求すると共に一般国民にその遵守を要求しているものである。そして人権尊重の憲法下においては、前記規定は人権尊重より当然に出てくる自然法的のものであるから、この法律の不知をもつて、その違法責任を免れ得るものではない。

(3)  従つて原告は、前記違法な強制入院措置によつて、昭和二六年一月一九日より同年五月一〇日足利警察署の手で救出されるまでの間、前記厩橋病院に不法に監禁されたのである。

(4)  右不法監禁による権利侵害。

原告は、前記不法監禁によつて、精神的、肉体的に多大の損害をこうむり、左記のとおり著しい法益の侵害を受けた。

(イ)  原告は、前記不法監禁の事実により、精神病者のレツテルを貼られ、相当の社会的地位を有する原告の名誉は甚だしく毀損された。通常、社会的には、精神病による強制入院というときは、通常人と「量的な差」としての性格異常者とは考えずに、狂暴的なものとみるものである。従つて、のちに警察による救出があつた場合においても、社会上に与えたその印象は、なお消しがたいものがある。

(ロ)  監禁それ自体が、原告に対して、精神的苦痛を与えた。

(ハ)  厩橋病院から派遣された看護婦が、原告を同病院へ連行する際、強力なアウロパンソーダ剤を使用したので、原告は、その後に、身体的苦痛を残し、また同病院が不潔なため血膜炎となり、足にむくみができ、全体的に退院後も、身体を虚弱にする結果を残した。

(ニ)暴行傷害事件。

原告は、原告の追出を計る亡武、被告かめ子、同芳吉らによつて、右不法監禁事件のほかに諸種の暴行虐待を受けたが、次にその主な暴行傷害の事実を摘記する。

(1) 昭和二四年六月二三日午後七時頃および同月二四日朝、亡武は、被告実、同操、同千に命じて、原告に対し、暴行を加えさせ、被告実は原告の顔面を殴打し、被告操、同千はこれに助勢した。そのため原告は、耳および頬のあたりに、全治三週間を要する傷害を与えられた。

(2) 同年六月末、亡武、被告かめ子の両名は、共謀して、原告を土蔵の階下六畳の間に追込んで縄をかけた。

(3) 同年八月初旬、被告かめ子は、故なく原告の外出を制止して、原告の手を引張り、左手指を捻挫させて、関節炎を生じさせた。

(4) 同年一二月中旬にも、被告かめ子は、故なく原告の外出を阻止して、原告の右拇指を脱臼させた。

(三)  その他の虐待等について。

(1)  被告かめ子は、食事、入浴、洗濯その他の日常生活における些細な点で原告を困惑させ、いわゆる継子いぢめをして、原告を虐待した。

(2)  亡武、被告かめ子、同芳吉は原告を狂人扱にして、原告の人権をじゆうりんし、右武は、昭和二六年九月五日、足利市内新聞に、原告を狂人だと新聞広告をして、原告の名誉を著しく毀損した。

(四)  右一連の共同不法行為による原告の損害。

(1)  精神上の損害について。

右一連の共同不法行為による原告の精神的損害に対する慰藉料については、その行為の程度と原、被告の社会的地位、亡武が巨万の富を有すること、他の被告らも相当の財産をもち社会的生活を営んでいることなどからみのて、金一千萬円を相当であると認める。

(2)  財産上の損害について。

(イ) 前記暴行傷害によつて要した治療費。

原告は、亡武の命を受けた被告実らの前記暴行による傷害の医療費として、根岸医院に関しては、合計金四七、二〇〇円を、秋山医院に関しては、右傷害によつて生じた歯の治療費として金一四、四〇〇円を、それぞれ負担させられ、また被告かめ子の前記暴行に起因する掌骨基部結節腫の治療費として金六六〇円を支払わされた。

(ロ) また原告は、亡武、被告かめ子らの暴行虐待により、脚気兼貧血症となり、容易に治癒しなかつたため、合計金三一、七三〇円の医療費を負担させられた。

(ハ) 更に原告は、被告かめ子らによつて、食事のことで苦しめられたので、特別の食事費として、合計金七五、七四〇円の失費を余儀なくされた。右食事費は、原告が、被告かめ子が後妻として家に来るまでの間において、習慣づけられた食生活として通常の失費にほかならない。

以上合計金一六九、七三〇円は、原告の負担した物質的損害であり、前記精神的損害による慰藉料金一千萬円のほかに請求するものである。

従つて亡武、被告かめ子、同芳吉は、原告に対して、合計金一〇、一六九、七三〇円を、連帯して支払うべき義務があるというべきところ、右武の死亡により、その共同相続人である被告実、栄、操、千、房子は、原告に対し、各自右金額の九分の一である金一、一二九、九七〇円ずつについて、被告かめ子、芳吉と連帯して支払うべき義務がある。(なお被告かめ子もその三分の一を相続したが、同被告は本来全額について責任を負つているので、同被告の分は右金額(一〇、一六九、七三〇円)以上には増額しない。)

四、予備的申立

なお、予備的主張として、前記治療費、食費について、被告らの虐待との相当因果関係を認めがたいとされたときは、昭和二六年五月一〇日以前の支出または負担である甲第八号証の八(二二、七五〇円)、同号証の九(八〇〇円)、同号証の一〇(五、八〇〇)、同号証の一七(一三、一〇〇円はその一部)、同号証の一一(六六〇円)、同号証の一二(三、一三〇円)、同号証の一三(一二、六一〇円)各記載の治療費合計金五八、八五〇円および同号証の一四(四六、七九〇円)、同号証の一五(二八、九五〇円)各記載の食費合計金七五、七四〇円、以上総計金一三四、五九〇円は、亡武が昭和二三年八月原告と締結した前記扶養契約に基き、原告に対して支払うべきものである。しかるに右武は死亡したので、配偶者たる被告かめ子はその三分の一(四四、八六三円)、その他の被告たる前記直系卑属五名は各その九分の一(一四、九五四円)ずつの支払義務を相続する。

従つて、この場合には、請求の趣旨第一項の総金額一、三四二、八九五円は一、四七七、四八〇円となり、被告かめ子に対してはその三分の一(四九二、四九五円)、直系卑属である被告実、栄、操、千、房子に対しては各自その九分の一(一六四、一六五円)ずつの支払を求める。

五、原告は別紙目録(一)ないし(三)記載の物件を所有し、亡武は正権原なくこれを占有していたところ、右武の死亡により、共同相続人たる被告かめ子、実、栄、操、千、房子は、その占有を承継した。従つて、右被告六名は、原告に対し、右物件を引渡す義務がある。

六、以上の理由から、原告は本訴請求に及んだ。

立証として、甲第一号証の一ないし三、第二号証の一ないし七、第三号証の一ないし八、第四号証の一ないし一〇、第五号証の一ないし六、第六号証の一ないし九、第七号証の一ないし五、第八号証の一ないし一九、第九号証の一、二、第一一号証の一ないし八、第一二号証の一ないし六、第一三号証の一ないし七、第一四ないし第一七号証、第一八、第一九号証の各一、二(第一〇号証は欠番)を提出し、証人岩井友吉、同田中利一、同吉本照夫、同渡辺良夫、同峰松カヨ、同久米トク、同岡村伝次の各証言ならびに原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)、被告田中武(第一、二回)、同田中かめ子、同田中芳吉各本人尋問の結果及び証拠保全及び本案訴訟手続における各検証の結果を援用し、「乙第一、二号証が真正に成立したことは認める。その他の乙号各証が真正に成立したかどうかは知らない。」と述べた。

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の主張に対して、次のとおり答弁した。

一、原告の主張事実中、請求原因第一項の事実および原告が、原告主張の日時に、厩橋病院に入院し、かつ退院したこと、亡武が、原告主張のように調停の申立、準禁治産宣告の申立、推定相続人廃除の申立をしたこと、亡武が、昭和二六年九月五日、足利市内新聞に原告に関する記事を掲載させたこと、別紙目録(一)記載の物件が原告の所有に属すること、同目録(一)、(二)記載の物件を亡武が占有していたことは認める。その他はすべて争う。

二、被告らの主張は次のとおりである。

(一)  亡武が原告を厩橋病院に入院させたのは、原告が病人であつて、医師の治療を受ける必要があつたためで、不法に監禁したものではない。

(二)  原告が引渡を求めている物件は、亡武の承継人である被告らにおいて、その物件を占有していないから、その請求に応ずることはできない。

(三)  かりに、亡武、被告かめ子、同芳吉らに原告主張の不法行為があつたとしても、その損害額を争う。

亡武の資産は、昭和二七年一〇月当時において、田地(六七、三五九円)、畑地(一九八、五四三円)、山林(五七〇、六七五円)、宅地(九、七六八、五五三円)、立木(一、一〇四、三八九円)、株券(一、三〇三、二四八円)、書画、家財道具等(四二四、二四三円)、家屋(二、六一〇、一九〇円)合計金一六、〇四七、二〇〇円であり、昭和二六年度税金未納分金五九、一一七円を差引くと、差引金一五、九八八、〇八三円となるにすぎず、その後資産は減少しているのであつて、原告主張のように亡武は二億円に及ぶ巨大な富を有するものではない。なお、原告は、昭和二七年中、訴外黒川昇と事実上の婚姻をし、自力で生活することが可能であるばかりでなく、昭和三一年一二月三〇日、亡武よりその財産を相続し、他から扶養を受けずに生活するに十分な資産を有するものである。

立証として、乙第一、二号証、第三号証の一ないし五を提出し、証人渡辺良夫、同山田中、同久米トク、同石川勇次、同水原善一、同佐藤宗治、同田中操、同田中実、同中沢政義の各証言ならびに被告田中武(第一、二回)、同田中かめ子、同田中芳吉各本人尋問の結果を援用し、「甲第二号証の三、第八号証の一九、第九号証の一、第一二号証の一ないし六がいずれも真正に成立したことは知らない。その他の甲号各証が真正に成立したことは認める。」と述べた。

理由

(当事者間に争いのない事実)

原告の主張事実中、請求原因第一項の事実および原告が、原告主張の日時に、厩橋病院に入院し、かつ退院したこと亡武が、原告を相手方として、原告主張のように調停の申立、準禁治産宣告の申立、推定相続人廃除の申立をしたこと、亡武が、昭和二六年九月五日附足利市内新聞(両毛民友新報社)に原告に関する記事を掲載させたこと、別紙目録(一)記載の物件が原告の所有に属すること、同目録(一)、(二)記載の物件を亡武が占有していたことは、それぞれ当事者間に争いがない。

(各争点に対する判断)

第一、まず請求の趣旨第一項の扶養料請求について判断する。

扶養の程度および方法について当事者間に協議が調わないとき、または協議ができないときは、扶養権利者の需要、扶養義務者の資力その他一切の事情を考慮して、家庭裁判所が、これを定めなくてはならない(民法第八七九条、家事審判決乙類八号等)。しかしながら右扶養決定を求めるものでなく、当事者間に成立した一種の贈与契約の性質を有するいわゆる扶養契約に基く扶養料請求が民事訴訟事項に属することは論をまたない。原告の扶養料請求がこの主旨の請求にほかならないことは、弁論の全趣旨に照らし明らかである。

原告は、「原告が、昭和二三年八月頃、亡武と別居して上京するにあたり、右両名との間に、右別居に関して、亡武は別居後原告に対し、原告の身分相応の生活費、療養費(一カ月金二萬円以上を相当とする)を支給する旨の契約が成立した。」旨主張する。しかしながら、これに照応する原告本人(第一、二回)の供述部分は直ちに信用しがたく、他に原告主張の契約の成立を確認するに足りる証拠はない。この点について、成立に争いのない甲第一三号証の三、四、六、七および証人田中利一の証言ならびに被告田中芳吉、同武(第一、二回)各本人の供述、原告本人(第一ないし第三回)の供述の一部(後記認定に反する部分を除く)をあわせ考えると、原告の実母つる死亡後、田中利一(武の実弟)、小沼南令(武の義弟)松田孝(武の妹の夫)間に、原告と右武との折合が悪いので、原告の別居問題の相談がなされ、その結果原告が東京都大井の住宅に別居することとなり、その別居条件、別居の費用等の話合がなされたことは認められるが、亡武が、右別居に関して、原告の身分相応の生活費、療養費(月々すくなくとも金二萬円以上)の仕送りをすることを、原告に約したような事実はとうてい認めがたい。すなわち、民法第八七七条以下の扶養ではない財産法上の契約たる原告主張の扶養契約の成立を認めることはできない。従つて原告の右主張は理由がない。

そうだとすると、原告の本訴請求中、原告主張のいわゆる扶養契約の成立を前提とする請求の趣旨第一項の扶養料請求は、その前提を欠くもので失当である。

第二、次に原告の被告らに対する損害賠償請求について判断する。

原告は、亡武、被告かめ子、同芳吉の一連の共同不法行為を主張するので、以下この点を考察する。

一、原告主張の不法監禁事件について。

(一) 成立に争いのない甲第六号証の一、五、六および証人渡辺良夫、同山田中、同岡村伝次の各証言ならびに原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)、被告武本人(第一、二回)の供述の一部をあわせ考えると、亡武は、昭和二六年一月一六日、群馬県勢多郡桂萱村大字江木一三四一番地厩橋病院(精神科病院)に赴き、同病院副院長山田中に面接して、原告の最近の暴状を訴え、同医師より原告本人の来診を求められたが、「原告本人を家人で同病院に連行することは不可能であるから、宜しく頼む。」旨話して、原告の入院による治療を依頼したこと、右山田は原告を来院させるために看護婦を派遣することとしたこと、原告は、同月一九日、早朝就寝中のところ、突然、同病院看護婦原ヤス、平野ユカ両名の迎えを受け、アウロパンソーダ剤という麻薬注射を右腕にされて、昏睡状態に陥つたまま、亡武と右看護婦二名に附添われて自動車に乗せられ、同病院に運び込まれたこと、当日、同病院長渡辺良夫は在院していたが、その診断なく、単に担当医員の簡単な胸部の診察のみにより、同病院第五病棟に入院手続がとられ、その翌日、同病院長の診察を受けたこと、同病院長は、この診察の結果性格異常者であると認め、かつ強制的に入院させる必要があると認めたこと、原告は右入院手続の不法を責め、治療を拒否したため、爾来治療もなされないままに、同年五月一〇日、足利市警察署の手で退院手続のとられるまで、同病院に収容されたことが認められ、右認定に反する被告武本人(第一、二回)の供述部分は措信しがたく、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

(二) 原告は、まず「原告は精神衛生法第三条にいう精神障害者ではない。かりに原告に通常人と量的な差としての異常性格が認められるとしても、法律的には、すくなくとも医療または保護のため強制入院させる必要のある精神病者とすることはできない。原告を精神衛生法第二九条、第三三条による強制入院の対象とすることはできない。しかるに亡武が、これを知りながら、原告を精神病者であるとして不法手段によつて精神病院に連行し、これを強制入院するに至らせた行為は違法である。」旨主張し、被告らは、これを争うので、この点につき考察する。

成立に争いのない甲第二号証の五、第六号証の一ないし四、第七号証の一ないし五、第一三号証の四、六、七および証人田中利一、同岡村伝次、同峰松カヨの各証言ならびに証人久米トクの証言の一部(後記認定に反する部分を除く)、原告本人(第一ないし第三回)の供述を考えあわせると、原告は、家庭生活において、亡父武、後妻かめ子およびその他の兄弟との折合が悪く、屡々激しく衝突したこともあつたが、そのほかは他人に危害を加えたようなこともなく、また平生の日常生活においてとくに常人と変つた奇異な行動をとるというようなことはなかつたこと、前記入院手続は、東京家庭裁判所において、原告と亡武間の昭和二五年(家イ)第四三一号財産分与調停事件が係属中になされたものであり、同裁判所調停委員会は、やむなく昭和二六年四月二日、亡武に対し退院命令を発したことが認められ、これをくつがえすに足りる証拠はない。

前認定に徴すれば、すくなくとも、原告は保護および治療のため強制入院させる必要のある精神病者でなかつたものと一応の推定をすることはできる。

しかしながら、厩橋精神病病院長たる証人渡辺良夫は、「診察の結果、原告を性格異常者であると認め、且つ強制的に入院させる必要があると認めました。」「入院当時、私が原告を右のように認定した根拠は、初診の時、昂奮しており、物の言い方が極めて誇張的で自己中心性、執よう性が顕著でありました。」と証言しており、同病院副院長たる証人山田中は、「私の診察の結果は、原告はヒステリー性精神病質者で、その程度は相当重いものと認めました。これは性格的に異常な素質があるうえに、環境がこれを助長した傾向があり、環境をかえるうえからも入院させる必要があると認めました。」と証言している点、更に証人久米トク、同中沢政義、同田中操、同実、の各証言および被告芳吉、同かめ子、同武(第一、二回)の各本人の供述をあわせ考えると、原告が保護、治療のため強制入院させる必要のある精神病者ではないという前記推認は動かされたものといわなくてはならない。

しかも、保護・治療のため強制入院を必要とするかどうかという判定には、一見精神病者であるかどうか明白であるような場合を除いて、事柄の性質上、学問的医学上の智識を要するのが通常である。しかし本件において、原告の当時の精神状態に関し、信用するに足りる鑑定資料はない。

してみると、以上考察した証拠資料のもとにあつては、原告が保護治療のため強制入院する必要のある精神病者ではなかつたという事実を確信をもつて認定することは無理であるといわなくてはならない。それゆえ、この点において原告の立証は不十分であると断じなくてはならない。

(三) 原告は更に「精神衛生法第三三条所定の保護義務者の同意による入院の場合は、同意能力がない精神病者を入院させる場合である。是非弁別の正常な能力を有する原告を、保護義務者の同意のみによつて入院させることはできない。」と主張する。しかしながら、同条は、精神障害者の医療・保護に関し、本人の意思を尊重していたのでは、かえつて真に本人の保護にならない場合、入院について、本人に代つて保護義務者の同意で足りることとしたものである。従つて、本人に同意能力、是非弁別の能力がある場合でも、真に本人の保護を要するときは、たとい本人の自由意思に反しても、保護義務者の同意による入院が認められるものと解すべきである。それゆえ、原告の右主張は、独自の見解に基くものというべく、採用することはできない。

なお、原告は、「本件は同法第二九条による強制入院措置をとり得る場合にもあたらない。」と主張する。しかし同法第二九条による入院は、知事による入院措置であつて、本件の場合がこれにあたらないことは、前段認定事実に照らし、多言を要しない。

(四) 更に原告は、「本件は精神衛生法が要求する手続をふまない強制入院である。亡武は、原告を相手方として調停の申立をし、また原告から調停の申立をされているから、同法第二〇条第一項第二号に該当し、同法第三三条の保護義務者として原告の強制入院に同意する権利をもたない。また同法第三三条によるも、診断の結果入院させなければならないにもかかわらず、その診断をせず強制入院させた点において違法である。」旨主張するので、更にこの点について判断する。

(1)  まず、亡武が、同法第二〇条第一項第二号(保護義務者の欠格事由)に該当するかどうかを考える。

同号によれば、「当該精神病者に対して訴訟をしている者、又はした者」は保護義務者としての資格を与えられない。ところで、同号が同法第二〇条第一項本文の但書として規定され、とくに「訴訟」と限定している以上は、訴訟とはいえない家事審判法による審判および調停のように非訟事件の性質を有するものや、民事調停法による調停などは、これらを申立てもあるいは申立てられても、「訴訟をしている者、又は訴訟をした者」にはあたらないと解するのが相当である。そして亡武が、原告に対し、東京家裁昭和二四年(家)イ第一五八五号をもつて「家事調整」の調停を申立てたことは当事者間に争いがなく、また前述のとおり原告から同家裁昭和二五年(家)イ不第四三一号をもつて「財産分与」の調停を申立てられたことは明らかであるが、これらはいずれも家事審判法による調停を申立て、または申立てられた関係にすぎず、右説示のとおり、同法第二〇条第一項第二号に定める保護義務者の欠格事由にはあたらないものというべきである。

従つて、この点について原告の主張は失当である。

(2)  そこで、更に、原告に対して、診断の結果強制入院の措置が採られたのかどうか、この点に関する亡武の責任の有無を考える。

精神衛生法第三三条によれば、保護義務者の同意による入院の場合に、当該精神病院長自らの診断を要することは明らかである。そして本条による入院も患者に対しては強制措置となる以上、入院の要否判定が慎重になさるべきことはいうまでもない。しかるに、本件においては、前認定のように、原告は、昭和二六年一月一九日、厩橋病院に収容されるにあたつて、担当医員の簡単な診察を受けたのみで、当日在院していた当該病院長渡辺良夫自らの診断を受けずに強制的に入院させられ、翌日その診察を受け、その診断の結果、強制入院の必要があると認められたのである。更に全証拠によるも、その当日、同法第三四条に定める仮入院の措置がとられたとも認められない。従つて、右の点において、同病院のとつた入院措置に手続上遺憾な点があつたことは否定し得ないところというべきであろう。

しかしながら、亡武において、故意または過失により同病院長の診断を遅延させたものと認むべき証拠はない。従つて右手続上についてのみの責任は、同病院側に帰属すべきものであつて、右武には、その責任がないものというべきである。

もつとも、原告は、前記厩橋病院副院長山田中が看護婦二名を派遣し、右武が看護婦と共に原告を自動車に運びこみ、同病院に連行して原告を強制的に入院させた一連の行為をとらえ、本件における強制入院措置と指称する。すなわち、原告は、原告を同病院に連行すべく、自動車に運びこんだときをもつて、強制入院の始期とみなし、「看護婦が、医師の診察もないのに、原告に麻薬注射を施用し、右武が看護婦と共に、原告を同病院に連行した行為をも違法な強制入院措置である。」旨主張する。しかし、この点について、証人山田中、被告武本人(第一、二回)の各供述をあわせ考えると、亡武としては、原告を同病院に連行する手続上の事柄に関しては、医師を信頼して、医師に一任し、その指示に従つたにすぎないことが認められ、これを動かすに足りる証拠は他にない。従つて、さきに述べたとおり、原告が強制入院を必要とする精神病者でないのに、原告の意思に反して入院させた点が立証不十分である本件において、亡武が不法に入院を依頼した事実を確認しがたく、また原告を同病院に連行する手続については同病院側の措置について同病院に一任していた事実が認められる以上、たとい医師の診察もないのに、看護婦が原告に麻薬注射をして、これを同病院に連行した措置の当否に問題があるとしても、この点に関し、やはり亡武の責任を認めることはできないと解するのが相当である。

(五) 以上の次第で、亡武が、前記厩橋病院に原告の入院を依頼し、昭和二六年一月一九日、看護婦二名と共に原告を同病院に連行し、原告が同病院に強制収容された点に関して、原告主張のような亡武の責任に基く違法行為の成立を確認することはできないといわなくてはならない。

そうだとすると、更に他の点の判断をするまでもなく、右の点について、亡武と通謀して共同不法行為をしたという被告芳吉および被告かめ子の共同不法行為の成立もまた確認しがたいといわなくてはならない。

二、原告主張の暴行傷害事件ならびに虐待について。

原告は、「亡武、被告かめ子、同芳吉らは、原告に対し、右不法監禁事件のほかに諸種の暴行虐待を加えた。」と主張するので、進んでこの点について判断する。

(一) 原告主張の昭和二四年六月二三日の暴行傷害について。

原告は、「亡武が、昭和二四年六月二三日、被告実、同操、同千に命じて原告に対し暴行を加えさせ、被告実は原告の顔面を殴打し、同操、同千はこれに助勢した。」旨主張し、これにそう原告本人(第二回)の供述があるけれども、右供述はたやすく信用しがたく、その他原告の全立証をもつてするも、亡武が、右被告らに対して、原告に対する暴行を命じ、またはこれを認容したことを認めるに足りる証拠はなく、成立に争いのない甲第八号証の三、四及び証人田中利一、同田中操の各証言および原告本人(第二回)の供述の一部(後記認定に反する部分を除く)をあわせ考えると、原告が、昭和二四年六月下旬、被告田中実のためにその顔面を殴打されたことを認め得るのみである。これに反する証人田中実の証言は信用しがたく、他にこれをくつがすに足りる証拠はない。してみると前認定の暴行について、亡武に共同不法行為者として、その責任を問うことはできないというべきである。

(二)原告主張の同年六月末の暴行について。

原告は、「亡武、被告かめ子の両名は、共謀のうえ、原告を土蔵の階下六畳の間に追込んで繩をかけた。」旨主張するけれども、これにそう原告本人(第二回)の供述はたやすく信用しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠なく、成立に争いのない甲第一三号証の六および原告本人(第一、三回)の供述の一部、被告武本人(第二回)の供述、被告かめ子本人の供述の一部を考えあわせると、亡武が原告と口論した際、原告が乱暴をして言うことをきかぬので細紐を持出し原告を追かけ、原告は松田孝方へ逃げ出したことを認め得るにとどまり、これに反する原告本人(第一ないし第三回)ならびに被告かめ子本人の各供述部分は信用しがたく、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

(三) 原告主張の被告かめ子の暴行について。

原告は、「被告かめ子は、同年八月初旬、原告の手を引張り、左手指を捻挫させて関節炎を生じさせた。また同年一二月中旬、原告の右拇指を脱臼させた。」と主張し、これにそう原告本人(第二回)の供述があるけれども、軽々に信用しがたく、真正に成立したことに争いのない甲第八号証の五、六は、いずれもカルテに基く診断書とは同一に断じがたく、かつその作成日附は治療後二年有余経過している点に鑑み、にわかに信用することができず、他にこれを確認するに足りる証拠はない。

(四) 原告が被告かめ子に虐待されたかどうか。

原告は、父の後妻である被告かめ子のために、日常生活の些細な面で、種々虐待されたと主張し、これにそう原告本人(第一ないし第三回)の供述があるけれども、被告武(第一、二回)、同かめ子各本人の供述に照らし、直ちにこれを信用することはできず、他にこれを確認するに足りる証拠はない。かえつて、被告武(第一、二回)、かめ子各本人の供述および弁論の全趣旨をあわせ考えると、原告もわがままで、後妻である被告かめ子に対してつらく当つていたような一面が看取され、原告が被告かめ子の虐待に甘んじていたとはとうてい認められない。

三、亡武が原告に関する新聞広告をした点について。

更に原告の主張するように、原告が昭和二六年九月五日附新聞広告によつて、狂人扱にされ、その名誉を毀損されたかどうかを考察する。

真正に成立したことについて争いのない甲第一一号証の三(昭和二六年九月五日の日刊両毛民友新報夕刊)によれば、「田中勝美について(広告)田中武」という見出のもとに、亡武の原告に関し事前相談のない限り親として一切の義務を負わぬ旨の広告記事が、原告が中沢政義に対してデマを飛ばしたことのお詫と共に掲載され、右広告中の一部分に、「不肖、私の次女田中勝美(三五)は数年前より精神に異状を来たしたるが如き様子があり昨年来病状ますます進み家庭内における日常生活にも目にあまるものがあり――」「本年一月十九日秘かに前橋の厩橋病院に入院させましたが治療半ばにして退院しました。」という記事のあることは明らかである。そして右記事において、あたかも原告が精神病者であるかのような印象を与える表現の用いられていることは否定しがたいところである。

つぎに右記事の内容が事実に反するかどうかの点については、被告の全立証によるも、右記事が真実に合致せるものであることを認めるに足りない。すなわち、原告が入院治療を要する精神病者である点について、さきに詳説した証拠関係のもとにおいては、被告の立証は不十分である。

ところで、成立に争いのない甲第一号証の一および原告本人(第一ないし第三回)の供述によると、原告は当時未婚であつたが、既に成人に達していたことは明らかである。亡武と原告とが親子の間柄であることは当事者間に争いのない事実であるけれども、原告は既に成年に達している以上、亡武から独立した社会的地位を有するものというべく、右武が、原告に対し、原告が精神病者であるかのような印象を与える前記新聞広告をしたことは、明らかに原告の社会的評価を違法に低下せしめるような行為であり、名誉毀損行為であるといわなくてはならない。

そこでその責任について考える。右広告記事全体(前記甲第一一号証の三)を通覧すると、亡武が、原告を狂人扱にする意図のもとに、すなわち原告の名誉を害する意思をもつて、右新聞広告をしたものでないことは看取されるけれども、親として通常、秘匿すべき事項を含む記事内容の広告を敢えて新聞社に依頼している以上、すくなくともこれによつて原告の名誉を毀損する結果を招来する危険のあることの認識すなわち名誉毀損における故意を有していたことは明かである。しかし被告かめ子、同芳吉の両名において、右新聞広告に関与した事実を認めるに足りる証拠はなにもない。従つて、右不法行為については、右武のみが、その責に任ずべきものである。

四、以上検討したところによれば、原告主張の一連の不法行為中、その成立を認め得るのは、右新聞広告による名誉毀損のみである。従つて、原告は、右不法行為によつていかなる精神上の損害を受けたかを、更に考察すればよいわけである。そこで右慰謝料の数額につき判断する。

原告本人(第一、二回)の供述によると、原告は高等教育を受けており、当時未婚の女性であつたが、その生活程度も相当であつたと認められる。そして亡武が有数の資産家であることは成立の争いのない甲第二号証の一、二、第一四号証および被告武本人(第一、二回)の供述ならびに弁論の全趣旨に徴し明らかである。しかしながら、被告武本人(第二回)の供述によると原告が準禁治産宣告を受けていること、成立に争いのない甲第一一号証の八によれば、原告は、右新聞広告後、昭和二六年一〇月一五日発行の「両毛ジヤーナル」に亡武を誹謗するような手記を寄せていること、殊に亡武と原告とは実の親子であること、前記名誉毀損の方法、程度、態様その他諸般の事情をあわせ考えると、原告の精神的苦痛に対する慰謝の数額は全一〇萬円をもつて相当であると認める。

従つて亡武は、原告に対し、金一〇萬円および右不法行為のあとである昭和二七年八月六日より右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うベき義務があるというべきところ、右武は、昭和三一年一二月三〇日死亡し、被告かめ子(妻)、同実(長男)、同栄(長女)、原告(二女)、被告操(三女)、同千(四女)、同房子(五女)が共同相続した(当事者間に争いがない)のであるから、右相続人らが、前記不法行為による損害賠償債務も共同相続したことは明らかである。そして右損害賠償債務は可分債務であるから、その債務は法律上当然分割され、各共同相続人がその相続分に応じて債務を承継するものと解すべきものである。それゆえ、被告かめ子は、右武の支払うべき右各金額(元金および損害金)に対する相続分三分の一にあたる金員を、被告実、栄、操、千、房子は、各自同相続分三分の二を六分した九分の一にあたる金員を、それぞれ原告に対して支払うべき義務があるものといわなくてはならない。

よつて原告の本件損害賠償請求中、被告かめ子、実、栄、操、千、房子に対する各請求部分についてのみ、右各金額の範囲内で支払を求める限度において理由があるが、その余の請求部分はすべて失当である。

第三、原告の予備的申立について。

原告と亡武との間に、昭和二三年八月頃、原告主張の扶養契約が成立したことを確認しがたい点については、すでに述べたとおりである。

従つて、原告の右扶養契約の成立を前提とする治療費、食費合計金一三四、五九〇円についての予備的申立も失当である。

第四、原告の物件引渡請求について。

別紙目録(一)記載の物件については、原告が右物件を所有し、かつ亡武がこれを占有していた点において、既述のとおり当事者間に争いがない。

被告らは、「原告が引渡を求めている物件は、亡武の承継人である被告らにおいて、右物件を占有していないから、その請求に応ぜられない。」と主張する。

しかしながら、占有権は、相続開始当時、被相続人が占有を有するときは、他の財産権と同じく、特別の事情がない限り、相続によつて相続人に移転するものであり、必ずしも相続人において事実上所持を取得することを要しないものと解するのが相当である。なぜならば、この場合において占有権が相続人に移転するのは、法律が相続開始の事実に対し直接に附与した効力で、占有物の引渡により、占有権が相続人に移転するものでないからである。

そこで、本件についてこれをみると、前述のとおり、被告かめ子、実、栄、操、千、房子は、原告と共に、亡武の遺産を共同相続したのであるから、右各被告は、その相続開始の際、右武が死亡当時同目録(一)記載の個々の物件につき有していた占有権を、法律上当然に共同承継したものと解すべきである。従つて、右被告らは、特別の事情がない限り、右物件を共同に占有するものといわなくてはならない。

ところで、被相続人武の右物件に対する占有が正権原に基くことの主張、立証のない本件において、相続人として前主武の占有を共同に承継した前記被告らの共同占有も正権原に依るものとは断じがたい。

従つて、右各被告は、原告に対し、その共同占有をしている右物件を引渡すべき義務があるものといわなくてはならない。故にこれに反する右被告らの主張は、とうてい採用し得ない。

従つて、同目録(一)記載の物件について、原告が前記被告らに対し、その所有権に基き引渡を求める請求は理由がある。

次に別紙目録(二)、(三)記載の物件について、その所有権の帰属に争いがあるので、この点を考えると、原告は、これらの物件も原告の所有に属する旨主張し、これにそう原告本人(第一ないし第三回)の供述があるけれども、成立に争いのない甲第一三号証の六および被告武本人(第一回)の供述と対比してみて、たやすく信用しがたく、他にこれを確認するに足りる証拠はない。

(なお、同目録(三)記載の物件については、原告の全立証をもつてするも、亡武が、死亡当時、これを占有していた事実を確認することができず、かえつて証拠保全手続における検証の結果によると、昭和二七年八月八日当時、すでに右物件は、右武方倉庫内に保管されていなかつたことが認められる。)

従つて同目録(二)、(三)記載の物件について、原告が前記被告らに対し、その所有権に基き引渡を求める請求は理由がない。

(結論)

以上の理由から、原告の本訴請求中、被告かめ子に対し、金三三、三三三円および金一〇萬円に対する昭和二七年八月六日より右支払ずみまで民法所定の年五分の率による遅延損害金の三分の一、被告実、栄、操、千、房子に対し、各自、金一一、一一一円および金一〇萬円に対する昭和二七年八月六日より右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の率による遅延損害金の九分の一の各割合による金員の支払を求める請求部分および原告の被告かめ子、実、栄、操、千、房子に対して別紙目録(一)記載の物件の引渡を求める請求部分は、それぞれ正当としてこれを認容すべきであるが、その余の請求は失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤泰蔵 渡辺桂二 粕谷俊治)

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